震災から明日で9年…「あの日」あなたは何をしていましたか?

みなさんこんばんは。English Studio QUILT/英語スタジオ・キルトのMioです。

明日で、東日本大震災の発生から9年になります。
今年は新型コロナウイルス感染症の件もあり、追悼式は取りやめとなったようです。

時が経つとあの怖さを忘れてしまいますが、記憶を薄れさせないためにも
黙祷を捧げたり、防災について家族で話し合うのも良いですね💡

私は、2011年の震災発生当時は東京都内のオフィスで働いていました。
ものすごい揺れだったのに、女性社員が壁際のキャビネのそばに立っていたので
思わず「壁から離れて!」と叫んだのを覚えています。

※アパレルのバイト時代に、お店が入っていた百貨店などで防災の訓練などを行い
お客様を壁や棚から離れたところに避難させる!というのを教わっていたのでした。

それからゾロゾロと避難して、外で待機していたときに
近くに立っている大きなビルがゆらゆらと揺れていたのがとても怖かったです。

そして、ワンセグ携帯(まだあるのか?)を持っていた社員が、津波の映像を見ていました。
ぱっと理解できないくらい、衝撃的な映像でした。。

当然家には帰ることが出来ず、初めて会社に泊まりました。
毎日普通に家に帰ることが出来て、家族と過ごせることがどれだけ貴重なことか
そのとき痛感しました。

あのときは、震災という形で様々な非日常を体験しましたが、
今も、原因は違えど、似たような状況になってきたように思います。

明日は、普通の朝を迎えられること、そうではない世界もたくさんあることを
忘れない一日にしたいと思います。

Mio

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震災から明日で9年…「あの日」あなたは何をしていましたか?” に対して2件のコメントがあります。

  1. 曽田 政則 より:

    あの日、私は、当時会社の災害安全対策室に所属していました。その時は会社のオペレーションセンタで退職前の引継ぎ書類を作成したいました。少しの揺れを感じセンターのTV画面(畳一畳分の大きさ)から伝わった情報は、自衛隊の「津波」が街を襲うシーンでした。「なんじゃこれ!」という気持ちでした。女性職員は泣いているものもいました。それから、社員を現地に送る作業に追われ退職のための資料作成は一時中断し、派遣社員の宿泊先手配作業現場と作業員の配置計画の作成に負われていました。その後退職し「被災地」の復旧活動ボランティアに参加し幾たびも現地をおもむき活動していたことを、思い出しています。

    1. Mio より:

      コメントありがとうございます!
      本当にあの時の映像は恐ろしかったですね。海の色が黒々としていたのが強烈に印象に残っています。
      ボランティアにも参加されたのですね。
      支援の形は様々だと思いますが、直接足を運んで復旧のお手伝いをされるボランティアというのは
      現地の方々にとってもとても心強く、励みになったことと思います。

      今年は自然災害だけでなく新型コロナという経験もあり、なかなかままならないことも多い年ですが
      少しずつでも前に進んでいきたいものですね。

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